『ヰタ・セクスアリス』:森鴎外

     番新と女とは三たび目を見合わせた。歯が三たび光った。

    番新がつと僕の傍に寄った。

    「あなたお足袋を」

     この奪衣婆(だつえば)が僕の紺足袋を脱がせた手際は実に

    驚くべきものであった。

    そして僕を柔かに、しかも反抗出来ないように、

    襖のあなたへ連れ込んだ。

     八畳の間である。正面は床の間で、袋に入れた琴が立て掛けてある。

    黒塗に蒔絵のしてある衣桁(いこう)が縦に一間為切って、

    その一方に床が取ってある。婆あさんは柔かに、しかも反抗の

    出来ないように、僕を横にならせてしまった。

    僕は白状する。番新の手腕はいかにも巧妙であった。

    しかしこれに反抗することは、絶待的不可能であったのではない。

    僕の抗抵力を麻痺させたのは、慥(たし)かに僕の性欲であった。

 

 森鴎外、『ヰタ・セクスアリス

 

    哲学講師の金井湛(しずか)君は、かねがね何か人の書かない事を

   書こうと思っていたが、ある日自分の性欲の歴史を書いてみようと

   思いたつ。六歳の時に見た絵草紙の話に始り、寄宿舎で上級生を避け、

   窓の外へ逃げた話、硬派の古賀、美男の児島と結んだ三角同盟から、

   はじめて吉原に行った事まで科学者的な冷静さで淡々と描かれた

   自伝体小説であり掲載紙スバルは発禁となって世論をわかせた。

                文庫本裏表紙解説より

 

 

本の解説本や文庫の解説などぱらぱら見るのが好きな子供だったので

中学生の頃からタイトルは知っていた。

何かタイトルがセクシュアルな感じがして、ちょっとH?

てな具合でどきどきしていた。

高校生になると「舞姫」の文章が難しすぎて、

鴎外は難しすぎて、「だ~めだ、これは」と思っていた。

このたびやっと手に取った。

 

解説の通り、「科学者的な冷静さで淡々と描かれた自伝体小説」

今となってはセクシュアルでもなければ、エロティックでもない。

 

当時の「硬派」と「軟派」の意味は面白かった。

「軟派」は普通に女色。

「硬派」は男色なのだ。

金井君は、「硬派」の犠牲者で逃げ回っていたという。

 

しかし、当時掲載紙「スバル」は発禁となったと言うが、

この作品よりもっとすごいのが、

石川啄木の「ローマ字日記」だ。

 

石川啄木は、鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を読んで

触発されて「ローマ字日記」を書き始めたのかと思いきや

違った。

 

ヰタ・セクスアリス』は、明治四十二年七月に発表された。

 

石川啄木が「ローマ字日記」を書き始めたのは、

明治四十二年四月から六月頃である。

当時、出版されなかったが、赤裸々な告白としては、

啄木の方が先を行く。

 

出版するとなると、このくらいで限界だったのだなと思い

時代を感じた。

鴎外の青春小説。

 

 

参考:『ヰタ・セクスアリス』 森鴎外著 新潮文庫 2012

   明治四十二年七月 「スバル」発表